何事も初めての時は不安で一杯ですよね。教会に行ってみたいけれど「キリスト教もカルト宗教と同じかもしれない」「信仰心を持ったら排他的な人間になるのではないか」「強引に洗礼を受けさせられたりしないか」等、疑問や不安が湧き上がってくると思います。このページではできるだけ、そのような疑問や不安にお答えしたいと思います。
神を礼拝することについて

近年、日本では宗教団体による様々な問題が起こっています。そのため、多くの方が神を信じることは恐ろしいこと、人生を狂わせることと感じているようです。そのようなテレビニュースや新聞報道を見ると心が痛みます。同時に、自らも同じ過ちを犯さないようにと思わされます。
神礼拝について
では、神を信じて生きることは虚しいことなのかというと、そうではないと思います。私はこの原稿を書く数か月前から、ある難しい問題と向かい合っていました。そのストレスは大きく過食や睡眠不足に思い悩む日が続きました。そんな折、天気の良い日に散歩をしました。抜けるような青空、頬を伝う爽やかな風、色とりどりの草花を見ていると、いのちを優しく包み込むような不思議な力がこの世界に働いていることを感じました。その時、私の心は軽くなりました。イエス・キリストが「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。」と言われた通り、私たちは神に生かされているのです。私たちはこの神を礼拝しています。
神に造られた人間
この世界と人間が神に生かされているとすれば、これらが神によって創造 されたと考えることは、とても自然だと思います。進化論の科学的データが正しいとしても、それらが単なる偶然によって起きたとするのは、かえって無理な話しではないでしょうか。
事実、科学者の中には神の存在を信じる人が多くおられます。では、なぜ神は人間をお造りになったのでしょう。それは、神の愛を知り、隣人を愛して生きる喜びを知るためなのです。日々、自分を生かしてくださる神に感謝し、弱さや欠点を抱えた者同士、愛し合い助け合って生きるためなのです。
進化論の生物学的データだけを信じるならば、人間は、この世界で競争を勝ち抜くために生まれたかのように思えてしまいます。良い遺伝子を持ってきた人だけが幸せになるように思えてしまいます。しかし、そこには大きな落とし穴があるのではないでしょうか。
私は人付き合いが苦手で、頭の回転も速くなく、運動神経も良くありません。そのような私は神を信じる前は、自分より立派だと思う人を見ては羨み、自分より下だと思う人を見ては優越感に浸っていました。本当に本当に酷い人ですよね。しかし、そのような私も、神と出会い、自分が神と人とを愛するために生まれて来たことを知り、地に足が付いた生き方ができるようになりました。自分を造られた神を信じることによって、人は人生の目的を正しく知ることが出来るのです。
人を神へと導くイエス・キリスト
その神との出会いはイエス・キリストを信じるキリスト教会の人たちを通してもたらされました。キリスト教会の人たちはイエスのことを天から下って来た神の子キリスト(救い主)として信じ、イエスのことばを神のことばと信じています。そのイエスのことばは力強く、優しさに満ちています。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」
マタイの福音書9章13節
イエス・キリストは、神から離れた人間に神の愛を伝えるために世に来られたお方なのです。このお方を通して、私たちは神に立ち返ります。そして、神の愛に堅く立つ時、私たちは、欠点のある自分も他の人も受け入れることが出来るようになります。この神の愛やあわれみを見失わない限りキリスト教が排他的になることはありません。むしろ、人を能力で判断する今の価値観から解放されます。
神の愛へと向かい続ける礼拝
とはいえ、イエス・キリストを信じれば、すぐに完全な人間になるというのでもありません。その成長は少しずつもたらされるものです。それどころか、私たちは神の愛やあわれみを直ぐに見失い、自分は神を信じた立派な人間と思い込んでしまいます。その結果、信仰によって他の人をさばくことすらしてしまうのです。そこで、私たちは、神の愛やあわれみから離れないよう、毎週礼拝を献げ、自らの罪深さを悔い改めるのです。
これが私たちの信仰のあらましです。ぜひ、皆様も教会にお越しください。心より歓迎いたします。
Q&A
ここでは、より具体的に教会に行くときの不安や疑問にお答えします。
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教会の礼拝や集会には未信者、他宗教の信者でも参加できますか?
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はい。もちろん参加いただけます。礼拝中、大きな声で話す等、他の人に迷惑が掛からないようにしていただければ何の問題もありません。
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信仰を強要されることはありませんか?
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信仰とは、神様の愛に人格的に応答することですので信仰を強要したり、洗礼を無理に勧めたりすることはいたしません。
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参加費は必要ですか?
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教会の活動は信者さんの献金によって賄われています。献金は、神様に対する信頼、感謝、献身の思いを表したもので、単なる参加費や会費ではありません。ですから、未信者の方に参加費用をお願いすることはありません。信者さんが献げる献金の額については特に決まりはありませんが、信頼、感謝、献身の思いを表すために相応しい額を献げるようお願いしています。
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礼拝に参加する服装や持ち物に決まりはありますか?
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服装に決まりはありません。皆さん普段着で礼拝に参加しておられます。持ち物に関しても特に決まりはありません。手ぶらでお越しください。
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赤ちゃんや小さい子供を連れて行っても大丈夫ですか。
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大丈夫です。礼拝堂の後方に、小さいお子さんと保護者の方向けの和室があります。
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車いすでも参加できますか?
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当教会の1Fはバリアフリーになっています。バリアフリーのトイレもありますので、車いすの方も無理なく教会で過ごすことができます。
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牧師先生とお話はできますか?
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もちろんできます。ただ、牧師も他の信者さんとお話しをしたり、用事があったりしますので、予めお電話でお問合せくださればスムーズにお話しが出来ます。
